ふんわりFandangosの土地に冒険しに行ったお話
- AL COMPÁS
- 2016年10月30日
- 読了時間: 9分
おひさしぶりです、カンテ3回のかたいーぬです。
かれこれ2か月以上部活に顔を出していないのに謎にブログを更新しています。
わたくし、現在地は北欧某国。
10月末の現在の時点で最高気温は常に一桁台です。
まだ初雪は観測しておりませんが、同じ国の違う地域に留学中の友人たちが次々と初雪の写真をtwitterにあげているのでこちらもそろそろかと思われます。
ぽかぽか県出身の私としてはしんどすぎる世界です。
もうすでに厚手のコートにマフラーの日本でいうところの冬装備をして街を歩いているのですが、現地の知人と話していたら「え、それ秋用のコートだよ??」と言われました。冬が来るのが怖いです。
先日ついにそんな極寒北欧を脱出し、南欧はアンダルシアにひとりで10日間ほど行ってまいりました。
実は一昨日帰国したばかり。
記憶が薄れないうちに特に私が行きたくて仕方なかった街について、
わーっと体験したこと思ったことをここに書かせてもらおうと思います。
とても長い上にど田舎の観光客もいないような街のお話なので多分おもしろくもなんともないですし
99.8%の日本人には縁も得もない旅行記です。
私が目指したのはアンダルシアの西の端、ポルトガルと国境を接する街HUELVAです。
マラガ空港に降り立った私は観光客でいっぱいのセビージャ行きの長距離バスに乗り込み、ほかの人たちと同じようにセビージャで降車したのち、観光を一切しないままバスを乗り換えてウェルバに向かいました。
すべては愛しの♡♡Fandangos de Huelva♡♡のためです。
セビージャからバスで1時間強揺られてたどり着いたウェルバは、率直に言って何もない街でした。
中心街はちょっと殺伐としたヨーロッパの生活都市という感じです。
観光しようにも特に見るものがないです。本当にない。
ただ街のあちこちに聖母マリアのイコンが掲げられており、
さすがマリア信仰の中枢ロシオを抱える州だなあとなんとなく思うなどしました。

ウェルバに何もないのは事前に予想済みで、私自身もとにかく「ウェルバの空気が吸えればそれで良い」という気持ちで足を運んだわけですが、それでも少し足掻いてみようと思い、ウェルバのペーニャを目指して歩いてみました。

Peña Flamenca de Huelva。ここ、Arcángelさんの出身ペーニャでもあるとかなんとか。
1階はステージ併設のレストラン、2階はペーニャもしくはレッスン会場として使われているようでした。
練習用ファルダを履いた小さな女の子たちがフラメンコシューズをカタカタ言わせながらこの建物に入っていっていました。(そういえばウェルバでは子どもが練習用ファルダとフラメンコシューズでそのまま街を歩いているのをよく見た気がします。靴痛まないのかな。)
しかしアポどころか前情報も得ることなくここまで来た私にはなかなか建物の中に押し入る勇気も誰かに話しかける勇気もありません。あてもなくこの建物の周辺をひたすら不審にうろうろすることになりました。
外国人観光客なんてほとんどいないウェルバです、町はずれのペーニャの周りをうろつくアジア人には道行く人の視線が大変に痛かったです。

そんなとき、件のペーニャの裏手にあるロシオの教会からフラメンコギターの音が聞こえてきました。
不審なアジア人、今度はロシオの教会周辺をあてもなくうろつきます。
するとたまたま教会から出てきた陽気そうなおじさんが私に声をかけてきました....!
これは逃してはいけないと思った不審なアジア人、必死で文脈無視の謎の自己紹介をします。
「そいではぽん、のぷえどあぶらーるえっぱにょーる、ぺろ、めぐったふぁんだんごでうぇるば」
おじさんは一瞬とてもぽかんとした表情をしましたが、「おー!てぐったふぁんだんご!! べんがべんが!」と笑ったのち私を教会の中庭にあるバルのようなところに引き入れてくれました。
そこからはわたくし、大変においしい思いをさせていただきました。
このロシオの教会では教区の信仰の厚い人たちが夜な夜な集まって祭儀用のファンダンゴやセビジャーナスを練習したり、普通にフラメンコのバイレやカンテのエンサージョを行ったり、単にみんなで集まってお酒を飲んだりおしゃべりしたりしているようです。
この日私は陽気なおじさんホアキンさんに引っ張られ、周囲に何を言われているのかも全くわからないまま教会中のいろんな人に会い、歌を聴かせてもらい、ついでに私も随分と歌わされ、お酒を飲み、とにかくパンダのように可愛がってもらいました。
「あなたスペイン語話せないのにアルモナステルもエンシナソーラも歌うのねウケる」みたいなノリです。
ちなみに一番受けが良かったのはアロスノでした。
持っているセビもトロンホ兄弟のSevillanas Rocieres(ロシオを題材にとった宗教色のあるウェルバのセビ)だったのでネタ勝ちみたいなとこありましたね。
しかしいかんせん何を歌うにしても周りはみんな歌を完璧に知っているのでレトラを間違えたら即ばれます。
神経がごりごりになるのですが、それでもやっぱり私が歌うセビやファンダンゴをみんな知っているからこそ共有できる楽しみもずっと大きくて、日本ではあまり体験できないほくほく感が嬉しい時間でした。
ロシオの祭儀用にセビ(Sevillanas Rocieres)やファンダンゴの合唱を練習しているところにもまぜてもらいました。
合唱を聴いたことはfandangos de almonaster等を除くとほとんどなかったのですが、大変にすてきですね...!
地元の人たちの合唱でのファンダンゴやセビはなんだかとてもあたたかくて力強くて、良い意味で土臭さがあるように感じました。
みんな声をまっすぐに出すんです。体の内側からぱーんと前に向かって声が出ていくかんじ。
それで全員が全員力いっぱいあらんかぎりといった風情で歌うので、すごい迫力です。
私も精進しなきゃなと思いました。
それから、プロとして歌っている女性が小学生の女の子2人にカンテのレッスンをするのにも同席させてもらいました。
アンダルシアのニーニャ、お歌がうますぎですお姉さんびっくり....
あの声どこからでてくるんでしょうね、遺伝子の違いを感じてちょっぴり絶望しました。
でも一番印象的だったのは、片方の女の子がNiña Pastoriのカンシオン歌っているのを聴いた先生が「ちょっとコンパス感が弱いわね」と言ってパルマを叩きつつ参戦し、その瞬間今までのカンシオンが一気にタンゴになったこと。
私自身もしばしば「コンパス感が薄い」等先輩にご指摘いただくことがありますが、それがものすごくわかりやすいかたちで提示されたような気がしました。
私も精進しなきゃなと思いました(二度目)。
翌日にはなんとロシオのミサにも参加させてもらいました。
夜8時ころから人が集まり始め、夜9時ころミサが始まります。
お恥ずかしいことに私キリスト教の慣例が全く分からない無知無知野郎なのですが、
ミサってなんとなく日曜日の昼間にあるイメージだったので平日の夜9時からというのがまず驚きでした。
祝詞(?)のような聖書の文言のようなものをみんなで暗誦し、区切りごとに2階席に立った歌い手がセビジャーナスを1本歌います。
このとき歌われるセビジャーナスは聖母マリアに対する呼びかけ(?)のような役割を持っているそうです。
この暗誦→セビという流れを7,8回繰り返し、最後は参列者全員で歌います。
まわりがどんな言葉を暗誦しているのか、どんなレトラを歌っているのかは私にはさっぱりわかりませんでしたが、ミサはとても荘厳で、私が普段何の気なしに歌っているセビの認識が変わるというか、少し思い直すところのあるものでした。
日本にいては気付けなかっただろう宗教という歌の根っこになっている部分を感じたというかなんというか。
良い体験をさせてもらいました。

La Cuna del Fandangos de Huelva(ファンダンゴのゆりかご)、Alosnoにも行ってきました♡♡♡
アロスノはウェルバの中心街からバスに乗って1時間程度のところにある、
ファンダンゴ・デ・ウェルバ好きにとっては最重要の村です。
神Toronjo兄弟をはじめ、現代だとPlácido GonzálezやArcángelなどのたくさんのファンダンゴ歌いや歌のスタイルを生み出している聖地。
しかしファンダンゴ以外には本当になあぁーーーーーーーーんにも無い村です。
アジア人どころか観光客すら存在し得ないようなど田舎。
アロスノに向かうバスに乗っているのもおじいちゃんおばあちゃんばかりでした。
もう私、道行く人の視線をかっさらいまくりです。

こちら道行く人々に生暖かい笑顔で眺められながら撮った写真。
お隣はそう、かの偉大なPaco Toronjoさんです...!!!!
なあぁーーーーーーーーんにも無いアロスノですが、私はこのツーショットと、先ほどのカジェレアルの看板を撮るためだけにバス酔いしながらこの村まで行きました。
なお、目的はアロスノ到着後15分で達成されました。
一応アロスノ観光に2時間程度用意していたのですが、30分あれば余裕でしたね....
この直後シエスタタイムに突入し、私は静まり切ったアロスノの村をひたすら徘徊する羽目になりました。

Huelvaには2泊3日程度滞在しましたが、とてもとても得るものの大きい時間でした。
ロシオの教会のおじさま方には「また必ずおいで」と言ってもらえました。
「今度はスペイン語勉強して来いよ」とも。ガンバリタイ。
ウェルバ、行って良かったです。
Fandangos de Huelvaってフラメンコとはまた別のよりプリミティブなジャンルである分、なんだか日本で"フラメンコ部"として、"学生フラメンコ"としてやっている中ではどこか軽く見られている節が多少あると思うんです。
バイレが(無理やり)つくとしたらたいてい初級者向けで、あくまで"フラメンコに入っていくための助走"のような。
歌もなんとなくその踊りの伴唱に間に合わせに歌われているような。
というか日本に限らず"フラメンコ"に誇りを持っている人がなんとなく敬遠しているのかもしれません。
あれはフラメンコじゃない、って。
私はFandangos de Huelvaを愛していますし何度もカンテソロとして舞台で歌わせてもらってきましたが、でもやっぱりなんとなくどこかで「これはフラメンコじゃない、私はフラメンコをしていない」ということを引け目に思ってきた気がします。
「もっとブレリアを歌わなきゃ、ソレアを歌わなきゃ、タンゴを歌わなきゃ」というのが常にある。
別にそんなこと思う必要ないはずなのにね。
今回とても反省しました。
ウェルバの人たちはFandangos de Huelvaがフラメンコとは別物の、自分たちの歌であることに誇りを持っているしFandangos de Huelvaそのものを深く理解し愛している。
私ももっと自分の好きなものを誇りをもって愛さなきゃいけないなぁと。
もちろんフラメンコも大好きですし日々精進しているつもりです。
でもそれとはまた別枠で、私は堂々とFandangos de Huelvaを大切にしていきたいと思った次第です。
それから、Fandangos de Huelvaにかぎらず、"パロがフラメンコじゃない"という理由だけでそれを愛する人を敬遠するのは私自身本当に気をつけなきゃいけないなと思いました。
"フラメンコをしている気になっているけれどフラメンコじゃない"というのは駄目というか大変にむなしいことだろうけど、そうじゃなくて、その根本的にフラメンコとは異なるその音楽自体を愛することは寛容に受け入れられるべきだな、と。
もともと思う節はあったけれど、でもより一層。
おわり。
スペイン語が全く分からないまま英語話者が存在しないど田舎に行ったわけですが、結構頑張ったんじゃないでしょうか。
ちなみにウェルバの後はへレスに行って観光案内所のお姉さんが英語を話せることに感動し、その後セビ―ジャに行ってホテルのフロントのお姉さんが英語を話せることに感動しました。